ソウルシャリスト・エスケイプはソウル・フラワー・ユニオン率いる中川敬のソロ・プロジェクトで1998年に活動していた。古い大衆歌謡やアイヌ、沖縄、朝鮮などの民謡とロックン・ロールやR&Bを融合させ、見事なミクスチャー・ミュージックを創り出した。そこにゲスト参加していたのがクラリネット奏者、大熊亘だった。彼の奏でるクラリネットの音色は違和感なくとけ込んでいた。2000年リリースされた彼のユニット「シカラムータ」のファースト・アルバムは不思議な世界に吸い込まれていく。
シカラムータ / シカラムータ(大熊 亘ユニット)
- 往復ヂンタ
- プンク・マンチャの踊り
- ラジャマティ・クマティ
- 道草のために (武蔵野7/8)
- 吾妻八景
- フラタニゼーション・ソング
- 奥に通じる扉
- ターキッシュ・ダンス
- 猫虫が入るから
- 青髭の憂鬱
- 四丁目
- プンク・マンチャ リプライズ
1998年(平成10年)8月6日の日本経済新聞文化面に、彼の執筆による記事が掲載された。以下全文引用。
路上発、不思議な世界音楽
◇「チンドン・クラリネット」で民衆バンドの可能性探る◇台風で横なぐりの雨が吹きつける街。人っ子一人で出歩かないような通りを、雨がっぱや傘で太鼓や楽器をかばいながらそぞろ歩く不思議な一隊・・・・・。これが僕の「チンドン・クラリネット」人生の初舞台だった。
チンドン音楽との出合いは13年ほど前。ロックバンドで騒音をかき鳴らしていた僕は、ジレンマを感じていた。子守唄のように聞いてきたロックやジャズこそ普遍的な音楽だと思う一方で、それらは借り物に過ぎないのではないかとの疑問を打ち消せなかったのだ。かといって、日本的なるものも、もはや「帰るべき家」と感じることはなかった。僕の音楽的自己形成はたとえて言えば「家出少年」として始まり、ひたすら既成の価値観からはみ出ようと、音楽の荒野をさまよっていたのだ。
●●●人生にじむ音色に衝撃
そんなころ、サックス奏者、篠田昌巳と知り合い、彼がチンドン音楽の業界に入門していると知った。その話にひかれて、東京の業界有数の長谷川宣伝社入ってみると、そこはまさに職人の世界。楽隊を先導する「旗持ち」さえ3年の修行が必要と言われた。演奏では旋律部分をクラリネットやサックスなどの管楽器が担う。楽士たちは中高年で、ほとんど独学という。だれに認められようというものでもない。しかし、人生そのものがにじみ出たような音色は衝撃といってもいいほどだった。スタイルとしては単純なのに、そこにはだれのマネでもない豊かな響きがあった。僕はすでに20代半ばだったが、一からクラリネットを始めることを躊躇しなかった。
社風により、チンドン太鼓は女性が担当していた。八木節の血を引くというそのリズムはロックに通じるパンチの効いたものだったにもかかわらず、少し離れた場所で聞くとそれはいかにも涼しげなのだ。空間を支配する音楽ではなく、風景と共存する音楽の在りようは新鮮だった。
こうして街を演奏して歩く日々が始まった。通りすがりの人の耳を奪い、しかも長時間、よく通る音で吹き通すには、ステージとは違う体力や平常心の技法が必要で、僕のクラリネットもそこで鍛えられた。一曲を延々繰り返すのもよくあることで、吹きながら居眠りすることもあった。
●●●大道芸+西洋音楽=?
演奏を重ね、先輩たちの話も聞くうち、僕はチンドン音楽の成り立ちにも興味を引かれた。ルーツのひとつは江戸時代の大道芸人的行商人のあめ売りで、その伝統に西洋音楽がかぶさったいうのが定説らしい。西洋音楽はまず軍楽隊として導入され、続いて除隊者が民間ブラスバンドを組織し、最初の洋楽の職業音楽家となった。それにヒントを得て、宣伝業者の手で誕生したのが街角で宣伝音楽を奏でる楽団「ジンタ」だ。「低俗」といわれた彼らの演奏には、音楽エリートには実現不可能な、なまめかしさが宿っていたのではないだろうか。
エリートのための西洋音楽は、片方ではいつの間にか、民族の音楽へと変ぼうし、そのスタイルを継承しつつ、今に残ったのがチンドン音楽なのだ。僕は自分が、この路上の雑種音楽の百年以上の歴史の末尾に連なっていることに興味を覚えたが、今度は世界各地で西洋音楽がどう受け入れられていったのかが気になってきた。
オランダの音楽学者によると、世界征服に乗り出したヨーロッパの軍人、商人、宣教師はブラスバンドを伴って現地人の心を支配しようとした。西洋の軍事的、宗教的優越を如実に示すとともに、伝統芸能を駆逐し、現地音楽の耳を西洋化していった点で、ブラスバンドは「音楽兵器」だった。だが、同時に当の音楽家らの手で、それは次第に現地音楽と関係を深め、多種多様な民衆バンドへ変容していったらしい。
行進曲や賛美歌は土地の音楽的記憶に引き寄せられ、人を同じテンポで行進させたり、ひざまずかせたりする当初の機能は、各地の冠婚葬祭などの場で生活に根づいた笑いや涙を彩るものへと変容していった。このような西洋音楽をいや応なく受け止めた人々が編み出した雑種音楽は、チンドン音楽とは兄弟のような関係といえる。
●●●各地でチーム旗揚げ
僕を「チンドン音楽」に引き込んだ篠田は6年前に早世し、クラリネットの心の師匠だった楽士も一昨年他界した。が、彼らのまいた種はいろいろなところで芽を出した。若い人たちが各地でチンドン・チームを旗揚げし、チンドンを演奏に取り入れたバンドも現れた。特に僕もゲスト参加している関西のロックバンドは、阪神大震災の被災地で出前ライブを展開しており、ボランティア活動から多くの音楽的成果を引き出している。僕自身、路上生活者の祭りで、ライブハウスで、チンドン音楽の撹拌を試みてきたが、あらためて、路上で培われたこの世界音楽に可能性を感じている。海外からは「クローン音楽の帝国」と呼ばれる日本。似通ったヒット曲だらけの音楽シーンに、民衆の雑種音楽の種をまき、音楽を面白くしたいと思っている。

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